申し込みが自分で出来ない女子

どれだけの人が婚活で、悩んでいるのでしょうか?

リングザベルでは、月一カウンセリングの際、申し込みが1人で出来ない女の子の為、一緒に申し込みをさせていただく事になりました。ご希望の方はお気軽にお声掛けください。

 

まだ見ぬ未来。「このままずっと結婚出来ないのでは?」「随分と長期戦になるのでは?」「好きな人など一生出来ないのでは?」どうしてそんな事考えるのでしょうか?その全てが妄想に過ぎず、けれど妄想が自己暗示に繋がり、悪循環をおこす。

過去の話し、経験。「あんな酷い目にあった」「いつも上手くいかない」「好きな人とは結ばれず、気のない人から思われる」だから…「これからもずっと同じことになる」そうしてつくるあなたの世界。本当にあるのかないのか?マインドコントロール、自己暗示。

私自身は、あるんじゃないかなぁ…と思っています。

 

昨日会員様が話してくださった、素敵なご両親のお話。10年くらい前まで、喧嘩もしていたけれど、今はとても仲良くしている。それを見ていたから、パートナーが出来たらどんな時でも乗り越えてゆける、大丈夫だと心から思えるし、これから目指す所への、自信にも繋がっている。

育児という大変なプロセスを二人で乗り越え、見ようによっては面倒な関係で、他人であり、互いに理解のし辛い男と女が暮らし、細かいやり取りや、時にうんざりする様な日常を直接目にしてきても、それでも互いの価値観を理解しようと努め、統合してゆき、許し、信じ、お互いを大切に思いやる、その姿を目にしてこれた子は強いし、ラッキーだと私は思う。

ならば、この目に見たことがない者はどうやってそれを実現したら良いのか?それは、そんな体験をした人の話をよく聞く事でもある。「いつまでも仲の良い夫婦」「今、仲良しの夫婦」「目指す方向」が見えている人の、それは自分たちと、その人と全く同じものでなくても良いのだけれど、「お互いが無理なく、ニュートラルな心で、快適に生活を共に出来る関係」。

 

私はいつしか、もらったプレゼントや連れて行ってもらったデートの場所、ご馳走してもらったもの、会いに来てくれる回数、そこで細かく愛をはかるようになった。それは、家が近ければ会う回数は増えて当然だし、休みが合うか、仕事の忙しさなども関係する。生活が裕福ならプレゼントやデートの場所が高価になる事にハンデはある、それも考慮の上、愛をはかるところがあって、要するに目に見える、カタチに残る、それが私には安心出来たのだと思う。

それが間違いかというと、会う回数は、会いたさを表すし、プレゼントは、気持ちがないとやっぱり出来ないし、お金持ちが連れてってくれた旅行も、そうでもない人がくれるチョコも、やっぱり同じ私に受け取れる愛だったのだと思う。

女性の中には、LINEの頻度に愛をはかる人も多い。モノをもらうよりも、LINEの方が嬉しい人もいる。けれど私にすれば、片手で適当にも打てる、小手先だけのメッセージから、どうやって愛を受け取れるのかと正直感じてしまう。どちらが正しいとか間違いとかでもなくて、どちらが欲深いかと言えば、どちらも【お相手の気持ちが欲しい】という欲であって、その人の色んな要素が重なって、それをそう感じるようになったのだと思う。

LINEをしたがる人の愛が、LINEをあまりしない人の愛に勝るとは私は思えない。そこに愛を感じるよりも、「束縛」とか「執着」「依存心」を強く受け取る者もいる。本当に人それぞれなのだと思う。愛情の表現が違うのなら、価値観が違うということで、上手くいかないのか?そこの価値観が合っていても、価値観は絶対に違うものだから、それは単なる逃げではないかと言う者もいる。確かに都度自分に合わない部分を見つけては、他に渡り歩いても、全く同じ価値観の人間など存在しないのだから。

相手が何をしているのか気にならないのか?

それは、確かに気になる女の子も多い。相手はDVではないか?自分はDVをしていないか?という項目に「相手が何をしているのか全て把握しておきたい」という項目があった。ヘタをすれば、DVになりうる事柄のようなのだ。

どうして私は気にならないのか、いつからなのか?遡ってみた。18歳の夜中2時、なぜかその時間に身支度をして家を出て行こうとしている旦那様に聞いた。「こんな時間からどこに行くの?」そうして返ってきた答えは「なんでお前に言わなあかんの?」「…」

それを言われた私は、1人号泣した。そして最終的に思った。「聞かなければ良かった」「もう二度と聞きたくない」「確かに、そんなこと私に関係ない」

依存しない、執着しない、自立する。そこに行きついたのには理由があった。

彼氏が飲み会に行くと言っても、別段何も思わない、気にもならない。それは好きじゃないからじゃない。干渉する範囲がそこにはない事を、理解しているからだけの事。相手がどこでどうしていても、それは相手の自由。私の自由も同じ。そうしたことで誰か他の人を好きになるなら、それはそれで仕方がない。私が出来るのは相手の自由を奪って束縛する事ではないし、どんな状況であっても、ただ好きなうちは、好きでいるという事だけなのだ。そして、相手が私を必要とするうちは、私といるという事だけなのだ。

もっと連絡が欲しい、もっとこんな風にLINEが欲しい、普通こんな風にするべき、もっと会いたい、デートの場所を考えて欲しい、小さくてもプレゼントが欲しい、頑張っておごってほしい、欲しい欲しいと、欲は尽きる事がない。

欲深く、もっと受け取りたいと望む事で、私たちは期待を裏切られて凹むものだから、本当は【ただそこにいるお相手様】と【ただここにいる私】を慈しむ気持ちが必要なだけなのかもしれない。

価値観が合わない

お見合いで違和感を感じた時には、断る事は良いと思う。違和感があるのに、無理して再会しても、実ったケースがない。自分が選んで決めたのに、ストレスを抱えて文句を言わなければならない事になりかねない。でも、パートナーとして成婚退会した後は、どんなに【合う】と思って退会した相手とも【合わない】点が見つかる。価値観がひとつの狂いもなく、一致する人などどこにもいるはずがない。それが普通なのに、【価値観が合わない】そうやって片づける事がいかに愚かな事なのか、早く理解した方が幸せに近づくのだと思う。

相手を理解する為に努めることは、とても面倒な事でもある。違う意見を言う事で、あなたが間違っていると伝わる事もある、批判されている、否定されている、ありのままの私では愛せないと言われている。伝え方によっては被害妄想に受け取ったり、押し付けられている様に受け取られたりもする。話し合える関係が大切だとよく言うのだけれど、話し合う事は案外難しい。パワーバランスも全く同じではないのだから。

かと言って時に好きだからと一時的に無理に合わせ、それで「あの時…」「この時も…」と噴き出してくることもある。結局きちんと向き合って一つ一つクリアしていかなければ、問題は何度も起こるし、クリアしたつもりでも、自分の中でだけ片付いている時もある。

見えないし感じない、相手の心を理解しようとすることも、自分の心を相手に理解してもらうことも、不可能に近いのかもしれない。「自分を分かって欲しい」その欲の方が勝つ。その面倒でどうしようもない事柄でも、どうしてそう言ったのか?どうしてそう思うのか?知ろうとする事が出来なければ、「攻撃された」と受け取るばかりで、全て失って振り返った時に「そこにも相手の愛が確かにあった」と気づく事になりかねない。

完璧にはなれない。私たちはどこかに気づいていない事があるし、誤解している事もあるし、まだまだ変化して行く方が、生きやすく、幸せな時もある。自分の中の常識を疑い、常に柔軟な清らかな心で、相手と接し続ける事が出来たら素敵な事だと思うのです。

「言えない」と「言わない」は違う。

全部相手に合わせば良い。そうすれば揉める事はないし、自分さえ少し無理すれば良い。自分をおざなりにし過ぎる人もいます。そうしている間に、本当の自分が何を望み、何を喜び、どう生きたいのかさえも見えなくなってしまいます。お相手様もそれを望んではいません。心を開いて、伝えたい事は、伝えるべき事は、伝えなければなりません。そんな風に思います。それが出来ないという思い込みの世界から抜け出し、変化する勇気が必要な方もおられます。あなたがあなたらしくいる事が、やはり魅力だったり生きる楽しさに繋がったりもするのです。無理するばかりで、合わせるばかりで、心から幸せを感じていない人から、受け取れるものは、お相手様にもないのです。心を開いて「こっちにも行きたい」「こんなデートがしてみたい」「少しカフェに入って休みたい」「そんな風に言われたら悲しい」伝える事が出来たら素敵な事だと思います。こんな事も言えないの?と思う方もおられるけれど、みんながみんな言えるとも限らないし、言いやすい環境を与えてあげる事も大切なのだと思います。

あの人に言ったら、3倍になって返ってくるし、面倒。そう感じさせてしまわない様に、ふたりで生きてゆきたいのなら、自分とは全く違ったものを、受け取る勇気も必要なのかもしれません。

( *´艸`)

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