「してあげる」は危険?婚活や結婚後に大切な“させていただく”の心
「してあげる」側が「してもらう」側に憎まれるとき。
人に何かをしてあげたのに、感謝されるどころか、なぜか距離を置かれてしまう、嫌われてしまう――。
そんな経験をしたことはありませんか?
相手が恩を仇で返したのか?それともあなたが恩を売り過ぎたのか?
実はそこには、人の心の奥にある力関係の微妙なバランスが関わっています。
田中角栄氏の教えに学ぶ
かつて田中角栄さんが、「お金を配るときに“くれてやる”と思うな。
受け取っていただくという気持ちでなければ、死に金になる」と言ったというエピソードがあります。
お金に限らず、「してあげる」「与える」という行為は、相手にどう受け取られるかがとても重要なのです。
婚活カウンセラーとして向き合ってきたこと
私は婚活カウンセラーとして、長年にわたり数多くの「奢り・奢られ」問題にも向き合ってきました。
お金を持っている人が「与える側」になれるのは、「受け取る側」の存在があってこそです。
与えることで気持ちよくなれるのは、人の役に立てるという実感があるから。でも、それがうまく伝わらないと、
「してやっている」という上からの印象を与えてしまい、逆に相手を傷つけてしまったり、せっかくしてあげているのによく分からない状態に陥ってしまうこともあります。
また、受け取る側も、「自分はしてもらうだけの、力のない存在だ」と感じてしまうと、自己価値を下げてしまう危険があります。
幼い頃の私に何か与えようとする人に対して頑なに拒んでいたら、祖母は「かなちゃんありがとう!って受け取らないと失礼だ」と言いました。相手のお気持ちを遠慮して受け取れない人はいつまでたっても幸せになれないよという教えでした。
又逆に【くれくれ坊主にやりともない】って聞かれた事はありますか?いつも何でも欲しがってばかりの者には何もやりたくなくなるという意味だったと思うのですが、【当たり前とは思わず】【相手の気持ちをありがたく受け取り】【感謝の気持ちを一生忘れずに】という受け取り側の作法もあり、今の時代にそれが面倒だと、割り勘希望の平成女性が増えたのかもしれません。
「ありがとう!嬉しい!」と伝える事が出来ずにボソボソと嬉しいんだか申し訳ないんだか分からない反応の女性に対して、ご馳走する気を男性陣が失っても仕方がないかと思われます。
私自身の仕事にも通じること
私のしているこの婚活カウンセラーという仕事も、「してあげる」仕事ではありません。
会員様の人生に関わらせていただくということは、「させていただける」ありがたいことなのです。
実際、これまでに「俺はお客様だ!」と口にされた方もいらっしゃいました。
そういう方に対して私は、仕事の時間でもないときにその方のことを心配したり、ケアをしたりすることはやめ、
「会費を払っていただくお客様」としてのみの関係を築こうと冷静に意識を切り替えました。
お金を払う側・もらう側に関係なく、お互いが心から信頼し合い、支え合う関係でなければ、本当の意味でのサポートや成果は生まれません。
「お金を払っている/もらっている」という関係の枠を超えて、
「信頼している/されている」「任せたい/一緒に考えたい」といった、人としてのつながりこそが、婚活において本当に大切なものだと私は信じています。
結婚後にも続く“心の姿勢”
実はこの「してあげる/してもらう」「与える/受け取る」のバランスは、婚活中だけでなく、結婚後の夫婦関係にも強く影響してきます。
最初は「してあげたい」と思って始まった行動が、やがて「自分ばかりがやっている」と感じるようになってしまうこともあります。
あるいは、「あの人は何もしてくれない」「当然だと思ってる」という不満につながることも。
夫婦というのは、日常の中で無数の“してあげる/してもらう”のやりとりが生まれる関係です。
だからこそ、どちらかが“上”になるのではなく、お互いが「させていただいている」「ありがとう」と感じられる関係であることが大切です。
この姿勢があると、家事も育児も、気遣いも、支え合いも、すべてが一方通行ではなくなります。
小さな思いやりを、受け取る側もちゃんと「ありがたい」と感じられる――そんな家庭は、静かに、でも確かに幸せを育てていくのです。
最後に:心のバランスが心地よさを生む
人に何かを与えるとき、そこに少しでも「してやっている」という気持ちが混じってしまえば、
相手の心は離れていくことがあります。
与えるときは「させていただける」
受け取るときは「ありがたく受け取らせていただく」
そんな心の姿勢が、自分自身も、相手も、心地よくつながっていける関係を築くのだと思います。
してもらった事は一生忘れずに、してあげた事は見返りを期待せず、すぐに忘れて、してもらった喜び、してあげられる喜びを共に循環出来たら、いつまでも変わらぬ愛をそこに見られるのかもしれません。