実の父が亡くなった話

昨日西成の警察署から連絡があり、父が亡くなりました。

私は悲しくありませんでした。

父の記憶は3つか4つの頃、お母さんを神社の境内で殴ったり蹴ったりしている最中の場面です。

その頃はまだ小さかったので、泣くことしかできませんでした。

その後、母は父と離婚しました。

私はいつしか泣くことしかできなかった自分自身を責めるようになりました。

小学生の時も勉強どころでなくて、何度も何度もその場面が繰り返していたので、いつもぼーっとしている子供と思われていました。

大人になって、私があの頃のことを話したときに、初めて母は私が覚えていたことを知りました。

小学生の頃は帰り道、父が私に会いに来ましたが、私の記憶の中では、恐ろしい存在だったので、走って逃げました。

それから父は再婚したようで、娘さんが2人できたそうでした。

私は母親と祖父に対してあることをきっかけに愛されていないと思い込んでしまいました。(実際はそんな事なかったのですが…)友達と彼氏がいればそれだけで良いと思っていました。

18歳で結婚して家を出ました。

中学生の頃には、一度父親に会いに行きましたが会えませんでした。

20代の頃、どういった巡り合わせか、父の再婚相手に会ったことがあります。

保険会社の勧誘でお食事会があって、そこでたまたま円卓で同席したのです。

とても苦労しておられるようで、「早く離婚してお母さんは偉かったと思う。私は離婚する勇気もないし…」

そんな話をされました。

そして直近では、胸騒ぎがして父親の行方を探したことがありました。

ちょうど脳梗塞で運ばれたところでした。

コロナ禍でもあったので、会わせてはもらえずに、お手紙とお菓子を置いてきました。

結局また離婚していて、身寄りがなく、働かせてもらっている所の社長が面倒を見てくださっているようでした。

それから父親から手紙が来たので、病院に連絡したら面会させてもらえるとの事でした。

面会の部屋へ行こうとしたら、なぜか外で術後すぐの父親が座っていました。

私は知らずに通り過ぎて、病院の中に入ってしまっていました。

そして、看護師さんが、「外に出たらだめですよ」と父親に言いました。

面会の部屋で話すのが嫌なようで、外に出たらダメなのに、ベンチで座っていたようです。

「何もできなくてごめんね」

ただの知らない小さなおじさんが泣いて泣いて謝りました。

私は謝られたとて、心が空っぽでした。

なんならどうして良いか分からずニコニコ笑ってしまっていました。

私が憎んだり怖がったりしていた父はどこにもいませんでした。

心が軽くなりました。

謝るそのおじさんが、なんなら可哀想に見えました。

真面目に働いていて、周りの人とも仲良くしているし慕われていると社長は教えてくれたのですが、父は社長のことを悪い人だと思っている様で、病院から逃げ出して又どこに行ったか分からなくなりました。

本当に悪い人だったのか、被害妄想だったのかも分かりません。

それから3年ほど経って今回の知らせが来ました。

実の姉も妹も、受け取り拒否されておられて、なぜか私の連絡先だけが調べて出て来たとの事でした。

昨夜私は西成の警察署に行きました。父が寝かせてもらっているとの場所には入られないとの事だったので、ドア越しにお花とお饅頭とお線香を供えて、手を合わして僧侶の資格を持つ友人に般若心経をとなえてもらいました。

「無縁仏」という状態が可哀想にも思いましたが、父の記憶など全くない弟から正しく冷静な文章が届きました。

近しい全ての者が拒否する中、生物的な父親ではあるものの我々が引き取るのも違和感を感じる。

姉がどうにかしたいというなら検討するとの事でした。

生物的にってフレーズと、われわれはっていうフレーズに、さすが高学歴は違うなと思ってしまいました。

離婚してから夜遅くまで勉強して、小学校の先生になった母は、それから孤独ではなく孤高を生きるのだと言いました。

定年退職してからは絵を描いたり、お泳ぎに行ったり、陶芸をしたり、私や孫とご飯に行ったり、友達と海外旅行に行きました。

母は離婚の話し合いの時には泣いていましたが、それ以降一度も涙を私に見せませんでした。

父が亡くなったことを伝えたら「へー」と言いました。

手を合わしに一緒に行く?と聞いたら「ええわ!」と笑って言いました。

私たちは生き別れか死に別れがあります。

かけがえのない人に出会いたいけれど、見つかった瞬間から、失う悲しみも常についてきます。

大切なものを失うと悲しいけれど、何でもないものをなくしても隣人が亡くなる程度の思いです。

だから、かけがえのない幸せを掴むと言う事は、大きな悲しみもまたどこかで掴むということです。

そして別れによって大きな悲しみを得たものも、その悲しみがあったからこその出会いの喜びを手にする事もあれば、ささやかな幸せを喜んで生きる事も可能です。

私たちには自分の力では抗えない事態に巻き込まれたり、なんなら巻き込まれに行ったりもします。

悲しみも喜びも同じ価値があります。

生きて経験する全てが貴重なのだと思います。

「お父さん今度はもう少し上手に生きられたら良いね。お疲れ様」と言いました。

不器用にしか生きられない大人も沢山います。

愛しやすい人に。一緒にいる相手の幸せが、自分の幸せと表裏一体にあるから。

それはパートナーだけじゃなく、目の前にいる人に対しても、どんな言葉を発してゆくのか、許し許され生きる喜びを共に感じられる様に。

生きることは、とても切ないなと思います。そして儚いんだなと改めて思います。

とても不思議で恥ずかしいことですが、父が亡くなった夜、お風呂上がりに髪を乾かす鏡の中の自分がすごく可愛く愛おしく思えたのです。

ただのノーメイクのおばちゃんのはずなのに、いつになく愛しすぎる感情が自分に対して湧き上がってきて可愛く見えたので、とても変な日だなと思っていたのです。

亡くなった父が来ていたのかな…

本当の私は父を愛したがっていたし、愛されたがっていたのだと、自分の行動を振り返り思うし、でも本当はずっとこわかったものに向き合って克服したかっただけかもしれません。

結婚相談所Ring the Bell-リングザベル-

あわせて読みたい
奈良結婚相談所リングザベル 婚活カウンセラー 五十嵐佳奈-いがらしかな- 若い頃から結婚に強く憧れ、人生の喜びも悲しみも出会いなくして語れない。ご縁を望む方の想いを叶えるお手伝いをしたいと...
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
もくじ